この手術、アメリカでは爆発的な人気。タイガー・ウッズもグレイグ・マダックス(テキサス。レンジャース)も手術を受け、すぐに成績が良くなったという。まず点眼薬の麻酔をしてから手術に入る(写真01)。手術に要する時間はものの数分(写真04・05)。術後はちょっと雲がかかった感じ(写真02)だけれど看護婦さん(写真03)の可愛い顔もよく見えるようになりました。
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手術ベッドから起き上がり、ゆっくりと両眼を開けるとメガネを掛けていないのに室内の隅々までがクッキリと見える。一番最初に眼に入ったのが、1メートルくらい向こうの医療用顕微鏡に記された“Leica”の赤い筆記体のロゴだった。次は、壁掛け時計のダイアルの“QUARTZ”の文字。どちらも、今までだったら絶対に見えなかったものだ。
「靄が掛かったように見えるでしょう? しばらくすると消えますから」 薄暗い別室で30分ぐらい眼を休ませれば今日はもう帰っていいという。せめて休憩室内だけでもメガネなしの眼でどう見えるか早く確かめてみたいけれども、麻酔が切れ掛かっているのか、まぶしくて完全に見渡すことができない。それでも、薄目を開けて1万円札を両眼分の48枚数えて支払いを済ませ、地下鉄大江戸線で帰宅した。
きっかけは同窓会
メガネを掛けないで済んだらどんなにいいだろう。もう20年以上願い続けてきた。スキーやボードセーリングなどのスポーツをする時、ヘルメットを被る時、プールサイドやビーチでちょっといい娘が通り掛かった時、冬のラーメン屋、キスより先に進む時……。
メガネは“生物としての人間”が生きていく上での大きなハンディキャップだと思う。全裸で砂漠に放り出されるよりも、メガネを取り上げられる方が恐ろしい。
レーザー光線による近視矯正手術に関心は持ちつつも、なかなか眼科医のドアを開けられないでいた。メガネが日常になってしまっているから、掛けていることによる不便や余計な手間に慣らされてしまっていたのだ。左右とも0・05の近眼の上に強度の乱視だから、もうメガネなしの状態は想像すらできない。
きっかけは、眼科医になった高校の同級生と久しぶりに同窓会で会って、一度遊びに行く約束をしたことだ。友達は近眼ではないので手術をしていなかったが、脱サラしてそこの事務長に収まった別の同級生がレーシック手術体験者で、眼科医よりも彼の体験談について根掘り葉掘り質問した。
「“人生観が変わる”ってことはないけど、ラクになることは確かだよ」 眼科医の事前検診によると、僕の近視は左右とも1・2もしくは1・5にまで矯正できて、乱視もほぼ完全に消えるという。このシミュレートが2時間以上掛けたかなり入念なものだったことと、検診の結果から効果が薄いと判断され手術を取り止める場合が統計で約2割に上るという2点を知って、僕は信用して手術を受けることにした。
朝の目覚めが違う!
手術当日は普段着のままにシャワーキャップを被ってベッドに上がった。点眼薬の麻酔をされ、瞬きを抑える器具を嵌められ、最初に右眼だけ開いた布を被される。もう、ジタバタできない。
ウィ〜ンと“光線銃”が降りてきて、視界に他のものはない。音は特に聞こえなかったが、瞬きを抑える器具に何かカチャカチャと嵌め込まれる音が聞こえ、スッと視界の上を通り過ぎていった。眼科医のピンセットの先端が僕の右眼に延びてくるのが見えた。これがパンフレットに出ていた、“フラップ開け”工程か。そうならば、今は角膜の一番上の透明な層が水平に切られて、そこにレーザー光線が当てられるはずだ。
「ジーッて4回行きますから、赤い点を見ていて下さい」
眼を動かすとレーザー光線が狙いから外れて白眼が焼けてしまう心配はウチの機械にはないから大丈夫と太鼓判を捺されたのを思い出すけど、動揺しているヒマもなく、ジーッと来た。見えるのは、光の束のようなものが4つに分かれたり、収束したりする。モノクロームの万華鏡を覗いているようだ。ちなみに、手術に用いられたレーザー光線を発射する機器はボシュロム社製「テクノラス・ケラコ217Z」は業界の最新鋭機で7000万円もするという。
手術後2週間が経つが、事後検診では左1・5右1・2に矯正され、乱視は無くなった。まだ異物感が少し残り、ヘッドライトやネオンのようなものが少し滲んで見える。また、遠くがよく見えるようになった分だけ近くが見えなくなり、クロノグラフのタキメーター目盛りは左腕を目一杯遠ざけなければ霞んでしまう。
毎日は快適そのものだ。特に、朝の目覚めが違う。ベッドの中から部屋中がクッキリ見渡せるから、気分までシャキッとしてくる。新しい世界と自分が切り開かれていくかと思うとちょっと心躍ってくる。